西部戦線異状なしを見ました。
古いのも、もしかすると子どもの頃にテレビでやっているのを見たことがあるのかもしれないけれど。記憶はなし。西部戦線異状なしっていうタイトルだけは知っていた。
第一次大戦と第二次大戦のイメージがなんとなくにでも頭に入ったのはここ10年くらいのことで。
塹壕の中にずっと膠着状態で閉じ込められている第一次大戦の兵士の物語だという予備知識はあったのだけれど。
ものすごく確固とした文学作品で小説なんだっていうのを感じるお話しでした。
わずか17歳の若者が、当時の教育や世相に飲み込まれるようにして祖国のために家族のためにと戦場に自らを駆り出していくところからストーリーは始まりますが。
わりと辛い目には合うのだけれど、本人の一人語りも入らず淡々と戦時の日常が書き出され、この異状な前線で送る時間の中で本人たちはある意味淡々と日々を生き抜く雰囲気の映像でした。
中盤から終盤にかけて、戦争の終わりが見えてくるタイミングで国家同士の戦争終結に向けての交渉と一兵卒が送る日常が平行して書かれるわけですが。
主人公たち一兵卒はその交渉ごとなど何もわからずただ塹壕と後方(で少し休める街があるのかな?)を行ったり来たりして日々を過ごしているのだけれど。
作品を観ている後世の人間は何の情報も与えられず前線で生きる若い人たちと、その人たちを救えない国家(とそれに連なる組織)をまざまざ見せられるのが。
しんどい。
正義は正義
悪は悪
正義であれば悪は必ず倒してもいい
何十万何百万の若者の命を懸けて倒さねば我が国は滅ぶ
と信じられたらどれほど楽かと。
どんなお話しを読んでも、どんなニュースをみても
正義と悪
正解と不正解
がはっきりわかるものなんてほぼない。
なにもかもが見えすぎてしんどいです。
しんどいってわかってるのになんでこういう映画を見てしまうのかと思うけれど。
そこには真実の一端なりが埋め込まれているのだろうと。
そう思うとつい見ちゃうんですよね。
中盤以降は悲劇的タイミングで死亡する主人公のためにいろんなファンタジーが埋め込まれ始めるのだけれど。
中盤までは第一次大戦ってこういうもんんだったのかな?と思ってしまう作りでした。
十分しんどい映画なので。誰かにおすすめしてミテミテ!っていうようなもんでもないけれど。かなりメンタルに堪える映画でした。
おそらく、規制があるので子どもが殺されたり、若い女の子が襲われたりっていうような描写は一切ないんだけれど。原作ではどの程度の表現があるのかないのかも気になりつつ。十分メンタルにきました。
第一次大戦の塹壕戦の真実がどんなものだったのかなんてもはや博物館や資料でみる以上のことはわからないけれど。
こんなことずっとわからないのが幸せだとしか思えないです。
親が止めたら行かなくて済む戦争に若者が行かなくてはとわが身を投げ出すようなそんな世の中は永遠に来なくていいしわからなくていい。
・・・
そして。
なんでか私。
Kindle Unlimitedのキャンペーンを見かけると数カ月単位で入会してしまうのだけれど。
気乗りしなくてお金を払っている間に1冊もまともに読んでないなと思ったので。
先月、ランキングの上の方に挙がっていたこの本も先月読んでしまったんですよね。
ロシアで女性がたくさん第二次大戦に参加したと聞いたことはあったけれど。出所の大半はもしかしてこの本?
何が何でも前線に出て敵と戦いたいと願い出て戦いに赴いた方や、生きるためにある部隊と行動をともにしたような方、後方(とはいえ、現代の後方からすると十分前線に近い場所)で炊事洗濯という重労働を過酷な環境の中で耐え抜いた方。お医者さん看護婦さん。とにかくいろいろなロシアの女性の戦争体験がまとめられているのだけれど。
全体の人数やボリューム感がつかめず(インタビューのまとめたもの)、少女と呼ばれる程度の女子がその当時のロシアの何パーセントくらいがこの体験をしたんだろうというところが全くつかめない本でした。
まだ成人前の15~6の女の子たちも戦争に行かなければ祖国のために行かなければという気持ちにさせてしまう教育があって、男子に比べれば「行け」と言われる圧力も薄い中で自ら行かなければという責任感の強すぎる女性や、むしろ戦争に従事することで自分の生きる場所を作らざるを得なかった(家族もみんな死んで家もない)女性のお話しだったのだけれど。
同じ場所にいて同じ経験をしたとしても、男性と女性では記憶している物事の形がそれぞれ違っていることがあるじゃないですか。
まさにそれ。男性視点での戦争の記録、女性視点での戦争に男性たちが行ってしまったあとの日常の記録ってたくさんあるしたくさん触れてきたけれど。
この本は前線に出た女性の脳が記憶してしまったものをたくさん残しているのだと思う。そういう意味で唯一無二の本なのかなと感じました。
・・・・
なんにしろ「行かなくていいルール(未成年・女子)」があるのにそれでも行かなければ恥ずかしいとか情けないとか。そういう気持ちにさせてしまう世の中になんか二度としちゃだめだなと思う。
それでも、国のために家族のためにと命をなげうってしまった人たちには敬意を表す以外にはないけれど。
ロシアの少女にしても、西部戦線異状なしの主人公パウルにしても
後世の人間からしたら、世界中の情報にあふれる現代からみれば
行くな!行く必要ない!!!!
と冒頭から呼びかけずにはいられない。
すくなくともこの両者は「絶対に行くことを強要された人ではない」というところがきつい。
自ら選んでくっ〇みたいな死地に赴いて。
その死地に赴いてくれた人のおかげで後世の平和があったり祖国の独立があったのかっていうのがもうよくわからないし。そのおかげですっていうしかないけど結局そうでもなさそうな〇っそみたいな世の中です。
せめて当時のルールであったとしても行かなくてもいいよって言われたらそれは回避してくれたらなと。この両作品をみてつくづく辛い気持ちになりました。
鬱々。これだけ鬱々するのだから原作はもちろん名作だし(読みたくないけれど!)、この映画も良い出来ではあるとは思うが。
ただ無情でしかないけれど。
この無情は今でもそこここで繰り返されていて。それに巻き込まれず一生を終えたいと自分の身の回りの小さい幸せを望んでしまうちっぽけな私です。