どうでもいい感じの日記です。
土曜日。朝6時台から起きだして、Youtubeを流し見ながらガンプラ作成。
幸せです。令和サイコー。
逆シャアは昭和?ギリ昭和ですね。
だがしかし、このRG 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア Hi-νガンダムは
2021年9月発売のピッカピカの令和型です。先週、つま先から作り始めてまだ胴体までしかできてないけれど。この足長感、胴体の短さ。見事なスタイルの良さですわ。
先週放送の水星の魔女
第14話 彼女たちのネガイが面白すぎて。実は3回も見てしまいました。
今まで、納得できなかったりばかっぽかったりして不満におもっていたことを全部吹っ飛ばしてうぉ~~~ガンダムじゃぁぁ新しいガンダムだけれどちゃんとガンダムじゃぁぁっていうモビルスーツのカッコよさを余すところなく絵で見せてくれた上に、子どもが戦争に巻き込まれてしまう感じがたまらなくガンダムで。「これこれこれこれ!これがみたかったんよ!」と。
映画と違って、テレビは長い間の浮き沈みがあるから仕方ないけれど。ここまで我慢してみてきてよかった。ガンダムでした。
あとはこのまま最終回までお話をうまく展開させて結論付けてほしい。
で、朝からHi-νガンダムを組み立てながら、アマプラでポケットの戦争の冒頭を流したら、絵だけじゃなく、会話から世界観から全部昭和で凝り固まっててみるのがしんどくなってみるのをやめました笑
コロナ騒ぎから始めたガンプラももう3年近く遊んでいますが。
同じモビルスーツのガンプラでも型が新しくて、デザインも刷新されているものも多く。今がよいなぁ。新しいものがいいなぁって思いながら遊んでいます。
やっぱ古いものは思い出ですから。思い出は思い出です。
どれほど私が宇宙世紀のガンプラをうっかり購入しがちでもそのガンプラは大概新しくなっています。
ありがとうバンダイナムコさん。
この4月から株式分割して買いやすくなっていたので、高値だとは思いながら買っちゃいました。2977円。100株だけだけれど。こんなものをぽいと買ってしまえるのも幸せ。
どれほど昭和の機動戦士ガンダムに心躍らされた私でも、昔のまんまのお話や昔のまんまのプラモデルが欲しいわけではなく、今のものが楽しいです。
今のものにはお金を払う。
思い出はネットでチラ見でいいです。
・・・
先週、実家に戻って父母と久しぶりにコミュニケートしました。
実は、何年か前にいろいろあって、「電話はしない!」宣言をしてから連絡のための電話以外の会話のための電話はしていません。
話をするのは顔を見たときだけに近いです(LINEはしてます)。
なんてことはない会話を半日ほどして帰宅してきたのだけれど。
最初から最後まで昔はよかった、今の世の中はなっていない。世の中がおかしくなったというような話にしかならなくてほとほと疲れました。
私。今が大好きです。
今よりいい時ないってくらい楽しいです。
仕事はむかつくこともたくさんあるし、納得いかないことも多いけれど。時間がたつに連れて何事も私にとっては優しい方向に変わっているので幸せです。
数年前までは、我慢するのが当たり前。昭和感覚で育っているのでなにがし我慢をしがちだったのですが、やっぱ我慢しすぎると周囲が「この人はOK」と誤解しちゃって、その上、我慢する人が減っているので。仕事も仕事じゃないことも含めて、妙な押し付けが自分に集中する感じで苦しんでいたのですが・・・
きちんとNOさえ言えたら、次回からはそれほど無理難題は降りかかってこなくなっている。
その時はもめるけどね。
好きなおもちゃも買って遊べるし。ほしいものもそこそこ買えるし。誰に遠慮するでもなく私のお財布です。自分の財布で買い物しているのに無職のダンナさんの顔色を窺ってお買い物をしていた私ですから。ありがとうありがとう感謝してますありがとうって言いながらね。
明日のごはんの心配もしなくていいし。
実家に帰って話をすると、私が幸せだよと言っている話をひっくり返されて、
今どきの世間はおかしい!昔は良かった!
という流れになるのがむちゃくちゃメンタルに来ます。
昔がよかったってことが正直一つもないです。
そりゃ、自分が若かったとか、子どもが小さくて大変だったけど子育ての楽しさはたくさんあったという、肉体的な若さにまつわる昔は良かったっていうのはあるけど。
昔がよかったこと・・・ないな~。
小学校高学年か中学生になったころかな。
大人になって仕事についたらお茶くみなんか絶対しないって口走ったのです。
テレビでも見てたのかな?
そしたら、父親が烈火のごとく怒りだして怒鳴り散らして説教が始まって数時間開放されなかったことがある。うちの親は絶対に暴力には訴えない人たちだったけれど、今から思えば言葉の暴力はひどかった。
そういう環境で育っているから、会社でも暴言吐き散らし系パワハラ上司の元で平気で仕事を続けてこれたのですけれど。
こと仕事にまつわる父親のアドバイスとか思い込みで私にやたら説教かましてきたことって何一つ役に立たないものばかりだったなぁって。
時代が変わっただけなので、それを恨みに思ったりはしないのだけれど。
自分の身の回りにいる人達と違って、周囲や社会から価値観の更新を迫られることがないせいか余計に古臭い。
会うたびに私と時代に関する感覚がずれて。とにかく出会った後にずっと昭和のころから変だなと思いながら我慢してやり過ごして何とか生き延びてきた日々の思い出がフラッシュバックしてとにかくしんどいのです。
「そうやね~」
「昔は良かったね~」
って表面上だけ話を合わせてあげたらいいんだけれど。
昨年亡くなった祖母にはそれができたのだけれど。
なかなか親となると、自分と価値観がここまで乖離したのかという思いと。
なんだかあきらめきれずに自分がいいと思っていることを伝えて割と幸せに暮らしていよと伝えて納得してもらって「今も捨てたもんじゃないね」と同意してもらいたいって気持ちが勝ってしまって・・・しんどくなってしまいました。
家に戻って、息子さんと話しをして、何気ないニュースをみてその感想を言い合うにしても、ネット上には多様な視点があるので、そのあたりも加味しつつ。
狭い家の中からネットを通して数々の世界中の価値観を覗いては。
われとわが身の平和をかみしめたりなんかしています。
もとに戻したほうがいいなんってものそうそうないな。
そういう意味では、私も旧式人間なので、おとなしく、世の中の邪魔にならないように自分なりに静かに楽しんで暮らしていくだけですわ。