いくばくかの身分の是正の目途が立ち、メンタル安定。これからどうやって生きていこうかとまた、岐路に立った気分です。
それでも、2019年9月のイライラと、この2年前のイライラ。それからこの日から半年後のイライラを思い出すと。いくら是正されても失った日々は戻らない。
会社で働いている間は目の前にあるやるべきことのおかげで何とかコロロの平静を保ちつつも、家に帰ってリラックスすべき時間になると悔しさがこみ上げて、ひとり。
だいたいシャワーしてるときに叫んでた(息子さんに気持ち悪いっていわれてた)けど。病んでたと思う。私なりにね。病んでたんだと思う。
でも、そうやって発散して、ブログにあれこれ書いて発散して何とか生きてきたわけだ。
正直、なんとなく騙されてる感もある。
が。この年齢だしな。失った時間分の不公平感はもう一生ぬぐえないけれど。あのままよりはマシなんだから仕方がない。
いまから数カ月後には同じように不満でいっぱいになっている可能性だってある。
人の能力にしろ、人の不平不満にしろ、幸福の感じ方にしたって。
おいしいと感じるもの一つをとっても、絶対値で感じ取れることなんてなくて。
すべては相対値。
コロナ下でいくら自分が世界中から見れば恵まれているし、日本中を見渡しても十分不平不満を言っていいような苦しみは味わっていない。
とはわかっていた。だがしかし。このオフィスで私の目の届く範囲で、一緒に協力すべきチームの中で?不満を抱かないで生きられるほど私はできた人間ではない。
4~5年ほど前。むちゃくちゃ仕事がしんどい時期があったのだけど、そのころは会社中の全員が理不尽な目にあってるという感覚があったので、つらくても耐えられた。いくら新入社員がどんどんどんどんやめていっても耐えられた。
「みんなが我慢してるのだから」って思えれば耐えられた。
だが、その嵐が去った後がまずかった。
扱いが一定じゃなく、なんで私だけが?みたいな状況になってきて、相当にやさぐれておりました。
結婚してるころ。なにがあってもエヘエヘ言ってられたメンタルの強さ(?)を思い出し。思いっきり好きなものを食べてここ2年は激しくリバウンド。せっかく落としたぜい肉も復活(とはいえ、運動は継続しているので、立派な固太りの身体に仕上がっております)。
話がそれましたが。
仲間がいて、同じ立場の人がいて、同じように苦しんでるけどみんな耐えてるのだなと思うと意外と自分もその理不尽に耐えられるので、私我慢強いわって思ってたけど。
いざ、自分だけが我慢を強いられ続け、他の人は救われるというような不公平感が激しいここ数年間でした(社内には同じ立場で砂を噛んでる人が何人かいるけれど、勤務地が離れている上に少数派なので各個撃破されてるんだよね)。
とはいえ、完全に私としてはフラットになったと思うわけではなく。
就職氷河期初期に世の中に出て、結婚して、子どもを産んで、育てつつ働き続けて。
2009年のリーマンショックの影響もあり、わがままは言ってはいけない。頭を低くして耐え続けるしかないという選択をしたばかりに、割を食うような立場に追いやられ。
ま、まだその日が来たわけではなく、そういう話が出ているという段階なので。
最初からちょっと怪しいなと疑っている部分もあり、やっぱ飛び出した方がよかったわって思うのか思わないのか。
どっちにしろ歳が年だけに
どうしようもないか。
新型コロナへの不安はぬぐえないし、罹患されて苦しまれている人、亡くなられた方、またそのご家族には申し訳ないけれど。
コロナがなかったら私。この1年。絶対耐えられなかったなと思う。
意味の分からない何かいてるのっていう文章になってますけど。あんまり具体的に書くのもどうなんだろうと少し迷いながら心のたけをつづってみました。