ブログの面白さってリアルにあると思う。
そんなわけで、本家「62kgから47kgを目指すおかあさんのダイエットブログ - 楽天ブログ」では赤裸々に体重とそのあくなき食欲、丈夫な胃腸をさらし続けているわたくしが・・・今度はこちらでお金のリアルをつづる決死の覚悟を固めたハズなのに。
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
高齢(65歳)以上の女性が2000万人超・・・。
私の祖母は父方母方ともに健在。
二人とも90を超えました。
二人ともいい人で大好き!二人のほほえましいエピソードをここで一つづつ!
な~んて書けないあたりが私も相当に嫌な人なんだろうけど正直者につき事実を見つめる敬老の日です。
そんなのリアルじゃないし、それを他人に信じさせて楽しませる才能は私には備わってないからね。何事も正直ベース。
父方の祖母=私の実家で両親とともに暮らしています。
3年ほど前に心筋梗塞で倒れ、もう、お別れかと覚悟しましたが、医療技術に驚くばかり。2度の手術を乗り越えて、生きています。
良い人だとは思ったことはありません(オイ!)
正直いじわるというよりは不平不満の塊みたいな人。
母が嫁に来た頃の話を聞いているとそれはそれは・・・嫁いびりの典型。
直接の被害者の母から言わせると、ひどくいじわるな人間ということになってしまいますが、もっと広い目で見ると。その時代の価値観。昭和40年代に嫁を迎え入れた姑としては、いじわるだけど、常識の範囲内のいじわるなのかなとおもう。
嫁は「うちがもらったもの」と思っている。
ばあさんも、いじわるしてやろうとおもっていじわるなんじゃなくて、心底嫁の扱いはそんなもんだ当り前だみたいな感覚でやっているだけ。という感じ。顎で使っていいモノという扱い。
うちのむすこにだってマガジン的不良漫画や映画は殺し合いに見えるし、犯罪者だし。さっさとつかまれよって感想しか出ないように。
うちのばーちゃんがうちの母親にしてきた仕打ちはもう、そりゃ・・・恐ろしい嫁いびりだと思う。
けど、その舞台がリアルに昭和40年代なら、そのような関係性は日本全国津々浦々で見受けられたものなのだろうと思う。
だけれど母親世代になると、都会に出て、核家族化したおうちで専業主婦をやって気楽にのびのびしてきた同世代もたくさんいるから・・・まぁ、口惜しいというか。恨みは尽きないのだろう。
20そこそこで嫁に来て同居。依頼50年近く祖母はご飯をつくったことがない。ごはんが出てくるのを待っている(動ける間は掃除、洗濯はしてたけどね。自分の分だけ)。
自分でやらないから好き嫌いは言っても、出来不出来をなじるようなタイプではないのが救いだとは思う。
おばあちゃんの要介護度が少しづつ上昇し、母は自分の生活が少しづつ少しづつ介護に縛られて自由が減るのが非常に不満。その不満を聴くのが辛い。
そのくらい聞いてあげることが母のため、ひいては祖母のためにもなるんだろうけど。
あれ?父親は?健在ですが?
ばーちゃん、不平不満要望があっても、父には言わず、あとからぐちぐちと母にいうんだよな。父に直接ぶつけりゃいいものを。
私の幼き日、祖母の心ない一言に傷ついては落ち込んでいたやさしい母を思い出し。
その幾多の心ない一言に鍛えられて全く動じなく強くたくましくなってしまった母。
たまに、話しているとこの人はだれ?という感覚に陥る程である。
祖母が死に向かって、いい人へ変貌していく。それを孫や他人が褒めることがとても嫌なようです。他人から「よくしてあげてね!」なんて言われた日には50年間ずっと面倒見てきてまだ他人にそんなこといわれるんか・・・と愚痴ってました(たぶん、笑顔でハイって応えてるんだろね)。
一方、母方の祖母。
早くに祖父が亡くなり、女手一つで3人の子どもを育てつつ働いた人。
働きづめに働いて、どれほど休んでくれと言っても全く休んでくれない。
いつも動き続けていた人。
いつもほがらかで、いいひとで他人の悪口なんて絶対言わない。
一人働き続けていた。
どんなに苦しい仕事も笑顔でまっさきに受けてしまうタイプ。
私にとっては、いい人の典型だったんだけど。
疑問なく労働に挑み続けるということは、どうやら脳にはあまりよくないのじゃないかとの例。
痴呆症。
なににも疑問を抱かない。
不平不満も抱かない。
それって、はたから見ればいい人ということになるし、そういう人に出会うと本当に自分が汚れているみたいで反省する場面も多かったんだけど。
やっぱ、疑問を抱く。考える。
この繰り返しが脳に効くのだと、そう思える。
あれほど身体を動かし、手を動かし。何もしない時間なんかないくらい動き続けて。
昼間は農協に勤務、田んぼを耕し、空いた夜は内職。
なにもそこまでせんでもいいやんていうくらい働いていたのだけど。
(そのお金は長年、農協に勧められるがままに買う農耕用の新しい機械になってた!)
なんか、とにかく悲しいです。
いい人なんてやったところでいいことなんかないやん。って思っちゃう。
でも、ほんとに「いい人」って不平不満も感じず負担にも思わず。善人の極み。
本人は幸せなんかなぁ。
この前に出会ったときは自分は60すぎくらいのつもりで、私のことは20歳だと思ってた。もちろん、ぼんやりしてて会話はほとんど成立せず。
二人ともいい人で大好き!
なんてつづれないあたりが私も相当に嫌な人なんだろうけど。それが現実。
血のつながり、身内としての愛おしさみたいなものを否定する気はないんだけど。
本日。2018年の敬老の日はお菓子を送ってお茶を濁しました。