息子が「キモい議員の話。知ってる?もう、どんな発言したって口に出すのもきもいからいやっていうぐらいキモイおっさんのニュース。おかあさんだいたいいっつもめっちゃ反応するのに何もいわんな~って思った。」と話題を振ってきた。
立憲民主党の本多議員の発言。
実は、ニュース記事をチラ見して、気持ち悪すぎて、深く記事も読まずどんな人が発言したのかも見ないで自分の心の健康のために、早々に意識から締め出していたので、息子さんが話題を振った時には思い出せないレベルだった。
われながら見事な防衛反応だったが。
幾分反省して、この問題を見つめなおしてみた。休日の朝です。
この問題への正しい反応として「キモッ」で正解。間違いない。
大切なことは。この発言をする人がいる(それも、法律をつくる中枢に参画するような国会議員が!)ということを垣間見せてもらえたので、日本社会全体はまだまだこの問題に対して「処理済み」と油断してはならないという事実。
私自身は、ありがたいことにこの本多議員を選出する選挙区の選挙民ではないのだが、まずまず、この発言を1度した人には何があっても投票はしない。そういう意味で、自分の「責任」をこの方に対して発動するための公的な権利がないので、冒頭の話にもどって「チラ見でキモいから忘れる」に至ったわけだ。
自己責任を発動する機会がないから忘れてしまえとなったのだけど。
そこで終わっていいほどの話じゃない。危険なニュースだなと反省したのでこの記事を書いています。
この発言をする人がいるというニュースが駆け巡ったおかげで
本多議員と同じ常識を抱えている人が今現在、一定数日本にもいるのだなということをひしひしと感じられた。それがこのニュースの意義。
14歳以下と恋愛やその結果としての性交ができるという夢を抱いている50歳以上が一定数存在する。ましてや、それを処罰する法律をつくる側の国会議員の中にいるということが露見。ひいては日本社会には相当数これを肯定する人、または欲望に負けてしまう人がいるはずだ。
私たちはまだまだ気を緩めてはいけない。昭和精神を引きずってオトコの、オトナの欲望を達成することに疑問を抱かない人がまだまだいる。
このおじさんひとりを断罪したところで、本人が謝罪したところで個人の感覚、感性が根っこから変わるものではない。ただ、騒ぎになり、この人が袋叩きにあっているのをみて「もう二度と軽々しく口にしたり、ましてや実行したりできるような欲望ではない」と同じ欲望を常識を抱えている人の心に届くことを願ってやまない。
朝日新聞の記事からの引用になるが。
自身の発言の意図について「人を処罰する法律なので、本来は想像できないような事例を幅広く検討したいと考えているなかで(の発言だった)」と釈明した。
どれほどの前提条件を付けようとも、ダメナモノハダメ!
の領域にある問題です。
ことによっては、14歳以下の子どもを殺してしまう以上の苦しみを一生涯与えてしまうかもしれない犯罪です。
14歳が精神的に、どれほど子どもか、どれほど未熟かという事実に気が付けるのは自分がこの年齢になって、親として過ごし、ありがたいことに息子さんがいて、彼の成長を身近で見られることができるという機会を得られたから。実際に目の前にないものを想像力で補うという高度なテクニックを使わずとも、肌で感じられたことは幸せだったなと思う。親をやらないと「わからない」とは思わないが、経験というものは時に容易にいろいろなことを学ばせてくれる。
50のオジさんに恋心を抱いて「私をどこかに連れて行ってくれる人」なんて思いこんで逃げ出したいような家庭に育つ14歳がこの世からみんななくなればいいと思う。
まだまだ子供の14歳。
世界中のどの子どもにも「危険である」と教える必要がない世の中を大人としては提供したい。そうありたい。それが理想。
今、少なくとも日本では、子どもに自分の身の安全確保のために銃の扱い方を教える必要はない。
だが、14歳に50歳の欲望を侮るなとまだまだ注意を促す必要があるのだなということを身に染みて教えてくれた人。それがこの人。自分の心が痛いからって忘れないようにしよう。
14歳の子どもが50歳に恋心(錯覚ですがね!)を抱くほどに傾倒するとき、おそらく生存本能のすべてをかけて逃げ出したい何かがあるのだと思う。
成熟した50歳であれば、その恋心の底にあるタスケテのシグナルを受け取って、彼を彼女をその地獄から救い出して上げられる方法を考えるべきであって、それを「双方合意うの上での恋愛関係」だと誤解してほしくない。
弱気に付け込む
許せない。そう思う社会であればと望む。
世界全体を見渡せば、その欲望といくばくかの金銭を交換にだして、娘を売りに出してしまうことが許されてしまうような社会がまだあるらしいが。
日本は社会的にはそのようなレベルはとおに過ぎ去ったと油断しちゃだめだ。