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【本の感想】トウ小平 (講談社学術文庫) Kindle版

トウ小平 (講談社学術文庫) Kindle版を読了しました。

GWに講談社学術文庫Kindle本ポイント50%バックのキャンペーンをやっていた時にお得に買えた。

 

第二次ベビーブーマーのおばちゃんの思い出を取り混ぜつつの感想です。

1980年代後半に高校生だった私に読ませたい!

ニュースステーションにどっぷりで、久米宏が言うことはすべて真実だって信じて、世界を憂いていた私に読ませたいです(何となく憂いていただけで何もしてないけどね)。 

トウ小平 (講談社学術文庫)

 とはいえ。この本も割と古くて2003年刊行。それ以降のことについては著者の方の未来予測的な考察のみ。とはいえ、鄧小平が亡くなるまでの中国という国の現実を、少なくとも1980年の人道主義にのっとったニュースステーションよりは端的に教えてくれる。

 

題名が人名なので、鄧小平という「人間」についての本なのかなと思い読み始めたのですが、結局、どんな「人」だったのかというのは今一つわからずじまい。

良くも悪くもある意味中国共産党的イメージで私なく、党のため・・・というよりは中国に生きる何億の人がより多く飢えずにごはんにありつけるか。そこを最も重要視して、それに「成功した」人でした。個人イメージがわかない。

 

奇しくも昨日が天安門事件の日だったので、ネットニュースも目につくので、中国共産党を非人道的な悪の組織であると簡単に断罪して忌み嫌うことも容易。

www3.nhk.or.jp

 

www.asahi.com

 

けれども。

今現在、各国の名目GDPリスト - Wikipediaをみても、中国は堂々の2位(一人あたりにすると沈むけど、それは日本も同じ)。

そもそも、このような大仰な数字を引っ張り出さずとも、ここ十数年、(コロナ以前であれば)梅田や京都の観光地へ足を延ばすだけでその感覚は肌で感じられるものだった。

 

 

文化大革命 - Wikipedia以後、理想と掲げたはずの社会主義毛沢東路線を、中国共産党をひっくり返して解体することなく、軌道修正することに成功した指導者だったのねと。

確かに、1989年の天安門事件では数多く(数多くっていうのが何人だったら数多くやねんっていう話はやりだすと尽きないし、1名の犠牲もいとわないというろうそくもって駅前につったっちゃう人とは永遠に平行線になるのはわかってるけどさ)

の犠牲者を出したとはいえ、ここで鄧小平が強く出て、民主化の火消しをしたことが、国内の混乱を収束させて、今の中国があるのだと思えば思うほどに。

死んでしまった人の数は数えられるけど、もしか、あの時、民主化の炎を燃え上がらせて中国がもう一度天地をひっくり返すような内戦の状態に突入したら?もしか当時の中国共産党に連なる人物をすべて排除して、新たな人々が台頭し国の要職を占めたとしたら?

 

その炎が落ち着き、国としての体裁を取り戻すまでにどれほどの命が奪われただろうと想像すると。

 

天安門でなくなった人たちの命と引き換えに、天文学的数字に上る人の命を救い、今日今日、みんながごはんを食べることのできる国の礎を作った人なんだなと。

 

毛沢東が個人の逸話にあふれ、(良くも悪くも)人間味のあふれるイメージが残っているのに対し、鄧小平にはそれがない。

そこが共産党的なベールに包まれた感しかなくて、1980年代の私には恐怖感だけが先行してそのイメージしかなかったのだけど。官僚的、実務的、実際的に物事が見えている政治家であって、英雄タイプの人ではない。

とはいえ、偉業を成し遂げた人。

 

理想に囚われるよりも、多くの人民にごはんがいきわたることを優先し、自身の名誉などにはさほど興味はなかったのかなという。一番権力を持ってるのに裏方的な実際家。

 

 

 

 

今の日本だって、自分が子どもの頃に思っていた西側諸国の一員で民主化が進み、自由主義、資本主義地の世の中。自分の志一つで上がるも下がるも思いのままだから、社会主義ソ連や中国に生まれなくてよかったっていうそういう感覚の日本ではなく。

日本はどこまでも社会主義的な国だなぁって毎日思う。そして、それに従うことに慣れきっている日本人に辟易としつつも自分自身もその一員であり、その中でぬくぬくと毎日ごはんが食べられているのだ。

 

官僚や役人の不正だってなくならないし、オリンピックに使ったお金、使うお金だって上から流せば下に行くまでに干上がってしまう。コロナ対策のアプリ一つつくるにしても国が出したお金が実際に手を動かしてアプリを作っている人本人に届くまでには干上がってしまう。

だけど、直接の被害者が少なく、生活を吹っ飛ばされたり、死ぬ羽目になる人の数が「多数に及ばない(本日この言葉にイラついてる私)」ために、それにいちいち自分の今の生活をかけて怒り狂い国を転覆させるような衝動を起こすなんて人はいなくて。なんとなく不満でなんとなく嫌な気持ちもあるんだけど。

じゃぁ、本当に死にかけている人がいるのだったら補償の手を差し伸べるだけの余裕はあるのでそこでなんとかバランスを保つガス抜きをするという、このいびつな民主主義(ということになっている)の国で生きているわけで。

株式市場だってホリエモン騒動の時にはこれが自由かぁって思ったけど。あっという間の鎖国政策で国内の主要な会社の株は軒並み日銀がある程度持っている今日今日。

大学生の頃の授業では、グループ会社ごと、旧財閥ごとで株を持ち合ってそれぞれの株を外敵(?)から守っているという話だったけど。最近は親方日の丸度はんぱないっすよね。これって資本主義????!

 

自由の本場、アメリカだって身分の世代を超えた硬直化、世襲化が進み。親にお金があるとないでは子の能力に違いがなくとも大きな差が出る世の中だっていう。

美しくはない。だが現実だ。飢える人が一定数の割合を超えてこない限りはこの社会が根底から覆されることなんてないんだろうと生ぬるく見守る。 

実力も運のうち 能力主義は正義か?

 

そう思えば、鄧小平以後、大きく社会主義から乖離して「何が共産党なの?なにが社会主義の理想なの?」なんて理念は投げ捨てて、多くの人が(金銭的に)豊かになってその人口をまかなえているのだから。その政策はやはり偉業としか言いようがないのではないかと。

 

批判するのは簡単だけど、実行するのはいかに難しいか。

 

共産党の理想を掲げた政策の転換で何百万人、何千万人の命が吹っ飛んだそんな時代を再び中国に与えないためには世界のマスコミが何を言おうが揺れる必要性なんてなかったんだなぁと。

毎日のようにテレビで流される天安門事件の映像は脳裏に焼き付いているけれど。

やっぱりあれも。画像の切り取り切り抜き、イメージの拡大。不安をあおるテロップ、ナレーション。それを丸のみして、「中国怖い、鄧小平怖い」以上の知識がないままに今日まで生きた自分を恥じています。

 

生粋のネトウヨな人たちからみたら「中国共産党の手先め!」「簡単にアジられよって!」なんて罵倒を浴びせられそうな気もするけど。気にしないわ。

奪われた命の過多で平和を語るのなら、奪われることがなかった命の数も推定して議論できるほどの歴史目線で語れるだけの時間は流れている。

 

実際、もし、天安門で命を奪われた息子の母が自分だったら?それは個の感情、個の戦になるので、きっと違う思いでこの人を眺めることになるけれど。

 

歴史的な大きな流れを眺めるだけの距離と時間に隔たりがある今の私にとっては地味に見えるが偉大過ぎる人だったのねと価値観を丸ごと入れ替える必要性が出てくるほどの本でした。

 

 

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