今週のお題「人生最大の危機」
「人生最大の危機とは?」と問われて、
2009年~2017年までの、家でまともに働いてくれないダンナサンを切り捨てられず、皆一緒にいることこそが幸せと思い込んでいた8年間こそが私の人生の最大の危機だったと。思わずにはいられない。
「ゆうべはお楽しみでしたね」を読むと。楽しいけど。自分の浅はかさを思い出して辛くなります。
このブログにもあのブログにも書き散らしているけれど。
なんでネトゲで出会った人と結婚してしまったんかなぁという(笑)。気が合う趣味が合うだけで結婚生活うまくいくなんて・・・なんで思ったんだよバカバカバカ(笑)
そういうリアルな記憶を呼び起こさずにはいられない。
現在、そのピンチ(主に慢性的な金銭不足による家庭不和)は離婚というカードをきったおかげで。
むすこは楽々に大学に通い。
のんびりと好きなもん食べたり、暑いからって気ままにエアコンをつけっぱなしにできる生活を謳歌しているわけですが(贅沢ってその程度かい!って言わないで。去年の夏は息子と二人でロンドンにもいったんよ~ま、その程度やけど)。
ネットゲームで出会って結婚したカップルなんて、ものすごくいっぱいいると思うので、同じころに出会って結婚して家族になったカップルでも安定して夫婦でいる人たちは多いとは思うのよ。
出会いの形がピンチを招いたわけではなく。
私がとにかく失敗したなって思っているのは、出会ったころに、元ダンナさんがついた些細な嘘に気づくたびに、大したことないと思って、笑って許し続けたこと。
それを違和感を感じながらもずっと呑み込み続けていたら最終的に元ダンナサンは引きこもるし、男の沽券を持ち出されて家事の分担や育児の分担がままならず、仕事をセーブしたために引き起こされる私の低賃金化。
息子の進学をあきらめたりする気はないし。いろいろ行き詰った(笑)
一度始めたこと(結婚)はやめちゃなんないっていう思い込みが結構強くて。
回れ右をするのにすごく時間がかかってしまった。
結婚もどうして「しなければならない」と思ったのか今となってはよくわからない。
ただ、息子がいて、2人ともそれなりにお金を家に入れていた間はそれはそれは楽しい思い出でいっぱいで、いわゆるファミリーな生活を謳歌していたので、その時期の楽しさを全く否定するものではないし。
家族ってなんなんだろうなんて考えることもなく一生を終えられたであろうと想像はする。金銭的にうまく回ってればね。
「そもそも」って考えると
そもそも結婚願望なんて幼いころから皆無。
ウエディングドレスが着たいとか、結婚式がしたいなんて一度たりともあこがれたことがなかった。
あほくさい。好きな人だけすればいい。
が、なんか結婚するのが当たり前、結婚しなきゃ半人前。結婚しないで一生独り身は不幸という刷り込みをしてくる世間や親に相当影響されていたのも確か。
そんなことないと違和感と反発はありつつも、その刷り込みをすべて否定するつもりもなく。ただ、なぜそれぞれ自由が許されないのだろうという疑問は抱き続けていた。
子どもがいない人は大人になりきれないとかそういう刷り込みもかなりあった。
酷い話だ。
さらに、男だろうが女だろうが、LGBTだろうが。大人だろうがこどもだろうが一人は一人。
みんなそれなりに尊重されてしかるべきであるし、こどもが親の所有物だなんて思ったこともない。
まったくもってそれ違うから!
今の私なら言える。
私の思想信条と世間の常識のずれがちょっとづつちょっとづつ修正されてきて、
女性一人でも生み育てることを選択したところで、差別されるどころか優遇されて楽に(主に金銭的にだな。)生活が出来る世の中になりつつある。
産休育休を取るといった女性が職を失わざるを得ないという社会も是正されてきている。
今、思えば、息子が小学校に入る前に勤務していた会社なんか辞める必要性は低かったなと思う。
正当な権利だと堂々として、時短もとればよかったし、休日の変更とも戦えばよかった。
いくばくかの金銭であっさり身を引いた自分が社会の変化をちゃんと感じられてなかったなと思う。
何かというと相談してしまう田舎の父親も、やはり、時代の先など読めているはずもなく。
何よりも、ずっと田舎暮らしの自営業。
私が大学進学のために家を出た30年前以上に・・・古めかしい思想に凝り固まっていってるんだっていうことに気づいてなかった。
それに気づいてしまってから、田舎に帰って両親に会うことが楽しいことではなく、ストレスになってきた・・・
そして、夏休みが9日もあるのに、田舎に連絡の一本も入れず家でぐたぐだしている。
どうやっても、離婚した娘は一人前ではないという思いがあるんだと思う。
見え隠れ見え隠れ。
それがしんどい。
幸せの形なんて人それぞれだ。
思い込みから回れ右をする時期を取り違えて無駄にいらん苦労をしょい込んで貧乏生活したなぁって。
思う。
一人の方がどんだけ楽やねん。
とはいえ、息子が保育所を出たあと、小学校3年生くらいまでの間。
あの時期が一人で子育てをするのが一番ムリゲーな時期だったと思う。
今なら、学童にいかなくてもなんかいい方法あるかな。
教室から、学童から自分でどんどんはみ出る息子は一人でおうちに帰れない。
辛い時期であった。な。
そういう時期を超えるためにも「家族」である必要性はあったわけだ。
公的な補助やサービスがない状態で頼れるものは自らか。家族でしょって話。
家族を放り出せば息子の安全が確保できないんだからさ。
そういう意味で、息子が一人でそろそろお家に帰ってこれるようになったのと同じくして、ダンナサンが引きこもりになってしまったっていうのは非常に辛かった。
私が義母のところから小学校低学年の息子を連れて帰宅の20時。
家は真っ暗。夜中中ネットゲームをして起きていたダンナはごうごう寝てる。
まったくもって夜ご飯の準備なんてない。
そんな夜が幾晩あったことか(笑)
そのダンナに三行半を突き付けるのは悪いことだって思い込んでた。
家族は一緒にいるから幸せ。って思い込んでた。
家族ってなんなんだろう。
協力もできないのに家族って言えたんだろうか?
それぐらいって笑って過ごすのが正解だったのか。
離婚しちゃった今でも正解の「時」とか「道」はどこにあったんだろうと。
折に触れ考える。
どんだけ貧乏したって、家族が一つ屋根の下でご飯が食べられたらそれが幸せじゃないか?
なんて私は思わない。
そもそも思ってなかった。
なのに、それが最大の幸せの形だと思いこもうとするあまり、したくもない我慢をしすぎたわ。
家族が一つ屋根の下でご飯さえたべられてたら幸せだって思えるなら。
息子に教育が必要だなんて想像もしない人間であれば。
ニコニコと3人で幸せ家族だったんでしょうよ。
でも!やっぱりそんなの幸せじゃない。
いずれ、好きでもない労働でいくばくかの賃金を稼ぎ生活を始めることになるかもしれないけれど、好きなことで生きていく。好きなことでご飯を食べる道を模索するだけの時間と場所を息子に授けたいという。
その思いを・・・なにより元ダンナサンとは共有できなかった。
その根っこが一致しないような人と安易に結婚してしまったのが私の失敗の始まり。
結婚するまでに、息子を授かる前に
共通の認識が出来てないような人とは結婚しちゃだめだなぁって。
思う。
思うが。
条件だけで結婚するのも気持ち悪い。
家族をつくるって難しいけど。
生きてくだけが幸せだって思えるなら。
今でも家族だったと思うし。
一生懸命家族をしてた長い時間を自分の中で、「ピンチといえば!?」という問いに最初に頭に浮かべてしまう私は。
やっぱ結婚生活に失敗した人なんだと思います(笑)
ネット越しに出会って、気が合ったので相当早いうちにリアルに電話して、リアルに出会って、気があう趣味がうからお付き合いして結婚したけど。
結婚したのは間違いだった。
楽しかったし、気も合ったし、趣味もあったし。
でも、それだけで結婚しちゃだめだった。
二人とも趣味と生活をちゃんと両立してて幸せそうでうらやましい限りじゃ。
この2020年を前にした時代に子育てするなら、20年前とはずいぶん状況も違うし、男性の育児や家事に対する意識も変わってるし。二人は結婚しても幸せなままなんだろうね。
そんな今でも!
お金と子供の教育に関する価値観は結婚前に「すり合わせる」必要なんてないような人を選ぶべきだと思うよ!!!!!!!!!!