『第9地区』の監督ニール・ブロムカンプの作品ということで。
ものすご~~~~~~~~~く。
第9地区のように苦しくなるような。何が正しくて何が間違っているのか?
何を選ぶべきなのかそうでないのかを悩むつもりでチャッピーを見ました。
要するに。第9地区、エリジウムとくれば、もう悩むしかない!って思った。
だがしかし。
オープニングから第9地区と全く同じ導入。映像。
ヨハネスブルグの犯罪対策で警察に大量導入された高機能警察官ロボのニュース(風)映像からスタートし、順に本作の登場人物たちの傍へカメラが移動して、お話がスタート。
ええのこれ?自分の作品だからいいのか?まんますぎないか?
庵野だってシン・ゴジラでやってオオウケだったからいいのか?と思いつつ不安を隠せないオープニング。
第9地区では虫風エイリアン。だがしかし、しぐさの一つ一つが人でしかないがゆえに、その扱いの是非について深く悩まされる、アパルトヘイトに対する皮肉でしかないストーリー仕立てのためのその演出だと思っていた。ひとにしか見えない虫風エイリアンのスキンが・・・
ロボにかわっとるだけやん?
おじさんにしかみえなくて、赤子のフリをするおじさんキモイとしか思えない。
チャッピーが数日でもう少し大きな子どもに成長した下りではだんだん違和感もなくなってきたけれど。赤子のフリをするおじさんにしかみえないあの奇妙な動きは。
第9地区では「人にしか見えないエイリアン」が特上の皮肉を生み出す演出だと思ったものが
え?全く同じ演出?きもいだけなんですけれど?(あ。2回繰り返した!)
納得感のないぶっ飛んだAIに対する浅い知識さえ完全無視のファンタジーストーリー。
(ただしこれに関しては思った以上に古い作品だったので、2021年の私がイメージするAIと作品がつくられた2015年以前のAIのイメージに隔たりがあるのも理由の一つだとは認識しつつしかし浅い)
さらに、登場人物の全員という全員が悪事を働くことに躊躇がなさすぎる。
ヨハネスブルグのギャングの皆さんはそんな価値観で生きているのだと言われたら納得もしそうなものだけれど、いっぱしの高機能警察ロボを大量供給できるだけの技術を持った最先端の会社にお勤めの皆さまも全員。
自分の欲に忠実になんの躊躇もなくやりたい放題。
そのくせなぜか正義を振りかざし、チャッピーに善悪を教えようとしたりとか・・・はちゃめちゃ。
AIと善悪に対する価値観を共通化できるか?とか善悪を教えられるか?とかその善悪の基準ってなんなの?っていう話を突き詰めるだけでもきっと2時間では語りつくせないだろうと思ったので、そこがメインテーマなのかなと予想しつつ見始めたのだけれど
チャッピーはどっからみてもものすごく成長が早すぎるタダの生身の人間的感覚を備えたロボで、AIだからこその葛藤とか勘違いっていうのも「成長が早すぎる」というあたり以外はほぼなし。あんた十分最初っから生身の人間だよ!チャッピー。
チャッピーの心を深堀して描くという意味では「実の父と育ての父」との関わりも書こうとしているのだけど、いかんせん盛り込みすぎぶっとびすぎて、どれを見てもオワライにしかみえない。
自分は安全な場所からたまにだけ様子を見にきて価値観を押し付けてくる「実の父(想像主)」と、ギャングとしての価値観しか持たずやはり価値観をおしつけてくる「育ての父」もテンプレ的な行動を盛り込むのが精いっぱいの尺で。展開早すぎて笑しか起こらない。
ギャングの一味の女性もなんでチャッピーを一目みただけであれほど母性本能を丸出しにして「母」になっちゃうの?と納得感ゼロで笑しか起こらない。
この3者とチャッピーの心の関わりを書くだけでも2時間は十分足りないと思う。
それにアクションやらなんやらあれこれあれこれ。
ヒュー・ジャックマンの操るでっかいロボとの対決もしないといけないし、AIとはなんぞやもやらなあかんし。忙しすぎる。
あ。ギャングの皆さんもここへ絡んでくるんだ。すんごくばかっぽい設定なのに戦いだすと超イケテル軍人さんみたいなギャングスターの皆さん。ヨハネスブルグすげ~笑
深みを出そうとするエピソードの一つ一つが性急すぎてすべてが笑いになってしまうという最悪のストーリー。
最初から笑うつもりで観たなら、おそらくよかったのだけれど。
第9地区のイメージでみたからなぁ。
とはいえ、第9地区だって、冒頭の世界観に対する期待とは違って、最後はものすごくミニマムな人間関係の話に収束しちゃって期待はずれだったんだったっけ?
監督の「好きなモノ・見せたい世界」と私がこの監督に期待する「世界観」にギャップがありすぎるが故の悲劇か。
笑いすぎて疲れたわ。