新しいもの、今のものの探索に疲れたアラフィフ。
原点に立ち返りまして、フィリップ・K・ディックのユービックを読みました。
ストーリー的には2021年を生きる私にしたら、どこかで読んだことのある雰囲気のあるもちろん、電気羊にも通じるし、ニューロマンサー、マトリックスにも通じる。
どこからどこが現実なのかがわからなくなる場所での肉体以上に精神力の試される世界での主人公ジョー・チップの苦悩っぷりを楽しむ一冊です。
主人公が主人公らしくもっと無双してくれる爽快感は無い。
傷つき倒れ伏し、また倒れ伏しつつ立ち上がるって感じの泥臭いタイプ。
ユービックは高校生の時には読んでいないはず。
ただ、そのころ読めばもっともっと夢中になれたにちがいない(ニューロマンサーでも感じたことだね)とは思いつつ。読み応えがありつつ、読みやすい、楽しい一冊でした。
要するに、どうにもこうにもユービックにも既視感が付きまとう。
私の人生はおそらく、成層圏一瞬旅行でさえ達成されないままになりそうだけれど。
名だたるSF作家も思い描かなかったインターネット世界の発達によって、家に引きこもりつつ、世界中の情報、世界中の様相。果ては世界中の歴史。未来への展望。
興味さえ持てば、スクリーンの中から垣間見ることができる。そんな2021年からみると既視感は付きまとう。
2021年までの間、映画・小説で繰り返されたリスペクト込みであったとしてもインスパイア・オマージュ・パロディ・パクリの産物を大量に取り込みすぎた今の私には「新しい」驚きはない。
しかし、なつかしさに打ち震えたのは、ジョー・チップが自分のアパートメントに戻り、時間の退行(作中の現在1992年=未来から、作品が描かれた現在1970年ごろ?を通り過ぎて1950年代~1930年代にまで自分よりも先に身の回りの時間が退行)を実感していくシーン。
以下引用。
これを読んだときに、いっちゃん最初のバイオハザードやDの食卓をやった時の初代プレステ・サターンに夢中だった20代初期の頃の自分にめちゃくちゃ戻された。
それまで、本の中で読んで想像していた世界をゲームを通じて実際にそのものに自分が干渉することでの変化にうち震えた頃の感覚が沸き上がってきて。どうしようもなく既視感以上に懐かしくなってしまった。
今でもゲーム上で同じ体験は繰り返しているけれど。
当たり前の体験になってしまっているので、絵がきれいだとか、挙動の可能性が多いとかそういうあたりの驚きでしかなくなっちゃっているのを。
この、シーン一つで、あの頃(文系4大生時代)の貴重な無駄時間での愉悦感が蘇ってきたのでした。
さて。ゲームから活字へ話を戻しまして。
古典で生き残っている小説の力ってやっぱりすごくて。本当に時代の波に抗って勝ち残った作品群だということ。
小説家とラノベ作家の区切りは明確でなくとも。読んでさえみれば感じられる。ただ、素通りしてしまう日常風景を言葉で表現する力。
その力をこの目で追って、楽しむ。
これこそが読書だなと思う。
映像作品は映像作品で楽しいけれど。小説よりも自分から遠いところに作品と自分の接点がある感じ。本を読むと、読んだ情報を自分の頭の中で自分なりの解釈を加えつつ組み立てて楽しむ。作品と自分の接点がゲームや映像作品等よりも内側にある感じがします。
これこそが活字を楽しむ原動力。
ト書き小説では得られない満足感がありました。
さすが50年以上版を重ね続ける名著です。
ここ1年で1番のなんちゃら賞をとったのとらないのという宣伝込みのレビューに踊らされて気にそぐわないものを踏んでしまう危険を冒すくらいなら古典!名著!万歳!
(でもまた気を取り直して、現代の作品も探索しますけれどね!)
・・・余談・・・
Kindle版を読み終わったときに表示される画面キャプチャですが。
ほんとにこのフィリップ・K・ディックの早川の表紙デザインは秀逸。かっこよすぎてそれだけで全部買って紙の本で並べたくなってしまうような危うい魅力がありますね(もう紙はなるべく買わないようにしているので)。
トータルリコールの表紙を元のデザインに戻してほしいなぁ・・・。