読み切っていない2冊の本を前にして、私、犯罪を犯すことに魅力を感じないし、私、若返って永遠の時間が欲しいなんて思わないな。としみじみ考えています。
貧乏極めていた2010年~2017年の間は、1冊の本を買うにも相当迷って悩んで厳選して、読みたい読みたい。それでもどうしてでも買ってでも読みたいという本しか買っていなかったので、買っただけで読まずにおいてある本はほぼ皆無だった。
ここのところ入れ込んでることがひと段落(年末ガンプラ→進撃の巨人アニメ一気見→進撃の巨人漫画)したので、読みかけの本を開いてる。
正月前に買った中村文則さんの銃をここ数日読んでいるのだが。
どうしようもなくむなくそわるくてなかなか読み進まない。
小説家なんて人の心を揺さぶってなんぼの商売。
ここまで私がむなくそわるいのだから作品として非常に良い出来なんだと思うが。
こんなに気分が悪いのにこれを読むことになんか意味があるんだろうか?と朝から自問自答。多分、このブログに読んだ感想を書くという以外にもう目的が見つからない。
つらい。銃を持つことを快感と感じられる感性がまったくない。
この主人公の女性観もほんと不快で、自分が大学生だったときの男子学生の一つの典型。ほとんど学校に来ず、たまに来たと思えば講義室の外に置いてある灰皿のところに群がって頭の中にはナンパ・合コン・パチンコの話題。女子生徒を対等の人間であるという認識はせず「オンナの一種」としてしか評価できない空気(おそらく別の場所であの集団ではない形で一人ひとりに出会って、知り合うのであれば、あの価値観や空気もただの集団心理、同調圧力みたいなもんで、それなりに分かり合えた人もいたであろうと想像するが。あれがなんだろね?悪ぶってることがかっこいいみたいな?その価値観もって、タバコもってけだるげにやる気なさそうにふるまわないとあの集団からこぼれるのが怖いっていう感じだったのかなと想像はする)。なんかそんな風景を主出して何とも不快。作家さんとしての力量は感じるが。もう、見たくないわぁっていうね。しかし、需要があるんだろう。
同じ中村文則さんのR帝国は。犯罪感の突き詰めもありつつ、ファンタジー要素も大きいので、エンタメとして楽しめたけど。銃は無理。放棄します。
dottarabattara47.hatenablog.com
ここまでしんどいのに読み切る意味がわからなくなった。明らかに隣の部屋に越してきた虐待児とその母の下りに移りつつあるのがさらに私のメンタルに突き刺さる気持ち悪さ。
ファンタジーがないの。リアル感がありすぎるの。実際その当事者になったことなんかないからその感性なんてわからないし、この人の書いてる心情が犯罪者の心情そのものに近いかどうかなんてわからんけど。ただもう気持ち悪い。
日々のニュースに紛れている陰惨な事件をかき集めてまとめ上げたみたいな気持ちの悪さしかない。確かに、R帝国を読んだときにもそれはあった。時事ネタを寄せ集めて練り上げて一つの物語にしてるんだなっていう。当たり前は当たり前なのだが。
しんどすぎ。
お次!
LIFESPANを買ったのは去年の9月。
2,376円(Kindle版)もするのを結構思い切って買ったのに。全然読めない。今見ると税込み1,900円に値下げしてあってまたムカ!(笑)
脳みそが長生きを拒否してる。これもこんなに気分が悪くなるのに読む必要性があるのか?自己啓発系の売れ筋ランキングをうっかり踏んでしまったが、払った金額分は楽しまねばと思う一方。買ってしまった後で、このタイトルにもイライラ。
もともとのタイトルはWhy We Age-and Why We don't Have To
何だと思うが。私自身、コレの前に読んでいたLIFESIFTをいたく気に入っていたので、それに似せたタイトルにしてあるのだと思う。
見事に引っかかった自分がほんと嫌い。そう思いながら読むから余計に読めない。
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略
「企図せず人生が想像をはるかに超えて長くなってしまった場合に、その時間をいかに楽しく、意味あるものにするべきか」を考える楽しさだったのに対して。
「人生そのものを長くするためにどのような研究がなされているのか」という話で。
(最後まで読み切ったわけではないので違う方向に行くのかもしれないとはおもいつつ冒頭からそのルートに魅力を感じない)
みずから「長寿」を求めるということに執着がないと気づいてしまった。
もし、自分が20~30代半ばまでくらいの能力でそのまま生き永らえるという可能性があり、甚だ日本人的ではあるが、自分の周囲も日本という世間の中でも、その「一般的になった何かしらの科学」の恩恵にあずかれば、その能力のまま100歳なり120歳まで生き永らえるのが一般的で、その長寿の恩恵にあずかるための科学の恩恵にあずかる努力を怠れば、老いさらばえて、無為な晩年を10年なり20年なり、自我がない状態で生き永らえてしまう・・・のなら、若いまま長寿であり続けるための何かしらをしないわけにはいかないが・・・。
想像するに、本に書いてある先端技術が一般的に浸透することがあるのなら、今からどう早く見積もっても5年後、10年後。60歳?50でこの程度の認知力が・・・60になったらどんな感じ?その状態から、よーいドン!ではい、今生きてる人たち加齢に悩まさられることなく健康で120歳まで生きられますよ!!!!
・・・っていわれたとしたら?80歳になったあたりでその不老不死の世界がスタートしたとしたら?
いやぁ。その波。来ないでほしいってマジ思う。
60歳の私がその最先端科学を施せば20の体と頭脳を取り戻せますよ!!!!って言われたとして、その「欲」があるだろうか?
ってなんか常に頭の隅で考えてしまって、この不老不死に対する研究に興味がわかないんだよな・・・。結局「欲」ですな。
もっと時間が欲しいとは思ってない。
この先の人生、有り余ることが予想されている時間をいかに使うか?その与えられた時間をいかに自我を保ち、認知力の衰えと戦いつつもそれなりに有意義に楽しんで生きるか。そのための自分でできる努力(運動とか読書とか?)は日々すべきだと思うが。
有り余ることが予想される時間をさらに伸ばすために私の時間とお金を使うのはちょっとしんどいなぁ。
できうる限り、身体能力が落ちない状態での人生は長くありたいが。
自分がもう、何も考えられず、何も感じられず、身の回りのことも自分で対処する能力がない状態での時間が長くならないように。そのための努力は惜しまずすべきだと思う。
ちなみに、今週末はアマプラでディケンズのドラマにはまってしまったんだけどさ。
登場人物がつぎつぎとコロッコロ死ぬのね。
もはやうらやましいと感じました。
ディケンズの小説の時代だと、私の年齢なんて完璧に見送られる対象の年齢だもんな。
1984に出てきた若作りのおっそろしい老婆として描かれる売春婦だってきっと私よりも若いもんな。
銃はやめやめやめた!気分が悪くなるだけなのでもう読まない。
LIFESPANはもしかしたら、この先面白展開があるんだろうかと思わぬでもないが。その気になるまで放置しよう。