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タタール人の砂漠 

 読書しました。小説とはいえ、その日のうちに読み通せた。

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

この小説をつい手に取ってしまうようなタイプの人は、皆、どこかに主人公ドローゴ的なものを秘めているんだと思う。

一通り読み終わった後には、ドローゴよりは妥協もしたし、世俗にまみれて、ドローゴにバカにされるような楽しみを求めたとしても、楽しい人生送れてるかな?と思ったり。ドローゴのような最後はいかんなぁ。と反省したりしちゃうと思う。

最後までドローゴしちゃうような真正ドローゴ気質の人は小説を読んで自らの人生を悔いたり恥じたり、軌道修正したりはしないのかもしれないと思った。

 

極めつけ。ドローゴな人生を最後まで送ってしまったら、自らの人生をどうやって工程すればいいのか私にはわからない。何をもって自分の人生は間違ってなかった、自分はそれなりに幸せだったと自らに言い聞かせていいのかわからないです。

 

 

本のカバーに書いてある、紹介文をそのまま載せると

辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら、緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ――。神秘的、幻想的な作風で、カフカの再来と称され、二十世紀の現代イタリア文学に独自の位置を占める作家ディーノ・ブッツァーティ(1906―72)の代表作にして、二十世紀幻想文学の世界的古典。1940年刊。

・・・だそうなんだけど。読んでみた感想。

辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら、緊張と不安の中で青春を浪費

っていうイメージとはちょっとずれてて、

 

いつ来襲するともわからない敵を待ち受け続ける砦に絶望を感じ、早々に逃げ出さねばと感じた若き主人公ドローゴは、結局のところ砦の生活に慣れ、心地よさを感じていることを自ら唾棄しつつも、いつか、来襲した敵を撃破し英雄となる自分を夢見てその英雄になる夢を追うことを理由に、その他の大多数の人が追い求める幸福(美しい妻、子ども、現世での出世栄達、さらにはもし、自分がそれをなしえなかったとしてもまた自らの子にその夢を託し見守りつつ最後を迎える)をすべて放棄し、英雄になることのみを待ち続けて人生という時間を使い続けた。

 

って感じ。

 

結果。ネタバレというほどの事件も起きないのではあるが・・・あえてラストまで書ききってしまうと。

 

若かりし頃に仮病を使ってでも砦を脱出しようとした当人が、退役間近になって、本当に病魔に侵されてしまい。それでも砦に居残ることを懇願し。恢復に望みをかけつつ自室で日々を過ごしていたが、

ここで、なんと・・・絶対に来ないと思われていた敵襲が本当にやってきてしまって、もちろんドローゴと同じように「いつかは英雄になれるチャンス」を長年待ち続けていた同胞(すでにドローゴも含め砦の幹部、中枢)に邪魔だからと自室を砦を追い出され下界に折りていくところで話は終わる。

 

平和で何事も起こらない間は、病人ドローゴのわがままも、みな余裕をもって許してくれるのではあるが、実際の危機的状況が迫った時にはそりゃもうひどい扱いで。

それでも、司令官(一時は心を許しあった友)が「礼をもってご退場いただく」ようにそれなりの配慮を見せてくれるのに、はねつけ、泣き、わめき、懇願し、それでもかなえられないことが分かって、戦に備える砦から一人下界へと降ろされる。

 

見事な老害っぷりを見せつけられました。

頑固でめんどくさいおじーちゃんも、余裕があれば優しくしてもらって少々の時代錯誤で迷惑なわがままも、周囲が許してくれるかもしれないが、いざ戦いだ!となった時には「ぽいっ」ってやられるの。

この作品が書かれたのは1940年らしいが、、、何百年も何千年も変わらないんだろうな。

 

(逆に言うと、少なくとも主人公ドローゴが権力の中枢に座ってはいなかったことが、砦にとっては、砦を守る他の将校や兵隊たちにとっては幸せなことだったと思う。今の日本は権力を持っちゃった時代錯誤のじいちゃんの集団を戴いているからねぇ。)

 

矮小な望みではあるが、せめて、健康のうちに退役を迎えることができれば、ドローゴは寂しいとはいえ、平穏な老後をいくばくかすごすことができただろうし。

せめて、自らが退役するまでに、あれほど待ちわびた英雄となるチャンス(敵襲)がなければ、、、同じように長い人生を待つことで浪費しつづけた同僚がそのチャンスをつかみに行く姿を指をくわえてベッドの中から眺めるような羽目には陥らなかったなと思うと。最後の最後まで不運。

 

だけど、平穏で敵襲もない30年以上の砦の生活が彼にとっては日常であり、心地のいいものっであったということは自らが認めたくなくても、実際はそうなんだろうな。と他人ごとなら思える不思議。

 

50を前にした私の感想としては。

私も含めてすべての、「なんで自分はこんな会社で長年我慢しつづけちゃったんだろうこれからも我慢をし続けるんだろう」って思う人に

「実はそこが心地よかったんでしょう?」っていう現実を突きつけられている感覚。

嫌で嫌でたまらないはずなのに。他の場所を求めにいくのがその実怖くて。慣れてしまった平穏を手放せなくて。

歩いてきた日々と、終わりまでの時間がすでに終わりへ向かう時間の方が短くなった私にはそう感じられる。

 

あとは。引き際を汚くはしたくないというたった一つの矜持だけだな。そこは大事にしたい。

えらくもないから、そんなに気を付けなくても大丈夫だけど。精いっぱい健康で、精いっぱい、新しいものにも取り付いて、現役であることに必要十分な自分でいられるよう心掛けつつ。自分の持ち場の必要十分を満たすために他人に負担を掛けるような状況になる前に現役を退きたいと思うよ。

 

やっぱ100まで現役とか、自分ひとりの世界では目指すし、楽しく残りの人生を全うしたいけど。

組織の中で、自らが他人のお荷物になって、その組織に居続けるなんて愚は犯したくないと強く思いました!

 

 

自ら戦場を探し求め、英雄ならんと移動し戦い続ける人には全くささらん本だと思う。

いくばくかの人生の楽しみを職以外に求め、日々を妥協しつつそれでも自分なりのつまらない日常を自らの能力に見合ったつまらない戦場で戦いつづけている大多数の凡人向けです。

 

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 

 

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