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ダイエットの成功、リバウンド、離婚から悲喜こもごもイマサラ金銭管理にめざめたおかあさんのブログです。

機動戦士ガンダムⅢのラストでほろり。この価値観は40年経っても不変だなと思った。

 

年末からガンプラ作りつつ、宇宙世紀をさかのぼって。

本日、劇場版機動戦士ガンダムⅢを観なおしました。

 

話の筋は覚えているのに、びっくりするほど感動してしまった自分にびっくり(多分20年ぶりくらいに見た)。

 

ユニコーン逆シャア→ORIGINと宇宙世紀を行ったり来たりしながら見直していたのだけど。

 

どれをとっても、なんとなく、子どもの頃から「好きだ」というイメージでみていたものが時代背景が変わって、自分も変わって、キャラクターの行動に疑問が出たり、、、笑えたりで、過去の産物を、高みの見物気分というか。割と外から眺めてる雰囲気だったんだけど。

 Ⅲのラストでアムロホワイトベースクルーこそが守りたいものの正体で帰りたいところだっていうべた~なラストが。

それがない人はやっぱ戦っちゃだめだな。と思うとほろりとしてしまった。

40年経ったけど、その価値観は私の中で変わらないんだなと思った。

 

何かというと登場人物が相手にビンタをかましまくるのなんか。

そんなことを肯定する価値観はなくなったと思う。

何が正しいか、何をなすべきか。それを暴力を使って子どもや部下を黙らせて従わせるっていう価値観はもう、完全に過去のもの。

相手の疑問に教えるものが解答を与えることもせず、ビンタやこぶしで結果だけを押し付けるなんて。バカらしい時代だったとそう思う。

 

ただ、ビンタをかました当人が、ビンタを伴って相手に伝えようとする価値観自体は、時代とともに否定されたり、時代を超えて肯定されたりを経てはいるが。

ビンタはあかん。それ今の常識。80年代には親に殴られもしないで育った子供はろくな人間になんかならないっていう謎常識あったよね。ブライトさんもはっきり明言されておられたな(笑)

 

ファーストガンダムも最初のうちは、それまでにやってたロボット大戦系のものと大差なくって、なんか敵のジオン軍がリアル感あってかっこよさげとか、そのくらいのものっで。子どものころに結構感動した気がするストーリーも

 

無理に死ななくても、死なせることで感動を生もうというストーリー(特攻系)がけっこうきついっていうか。その価値観自体が許せなくて厳しいし。

 

アムロはもっとひねくれたイメージだったけど。最初からみてると相当な熱血野郎主人公だし。

話の流れで突如すねたり、逃げたり飛び出したり。

人格が心配になるほど急に戦士になれる。

そこは、ガンダムに乗った途端に割り切れるのかね?

 

ほんと。地球編までは、アムロに限らずどのキャラクターも逃亡する、モノを持ち出して逃げる、命令聞かないとめちゃくちゃ。突如かあちゃんに会いに行くのは許したとして。制服脱いでいけや。戦地のど真ん中やぞ~~~。迷惑すぎるわ!!って。自ら事件を起こしては、解決するのにお涙頂戴っていわれても。いや。そのピンチは最初から避けられたやろっていうのが多すぎて。

 

こんなもんだったかなぁ?って疑問を抱きつつ見直していた。

 

とにかく地球編が一番つらかったな。旧日本軍の価値観の押し付けっていうか。華々しく散るのが美しいみたいなそういう気持ちの悪さを相当感じながらみてた。

 

あと、モビルスーツに乗ってアムロが敵モビルスーツを撃破してもやっぱり人は死んでるんだけど。シーツの下からジオン兵を撃ち殺すシーン。・・・生々しすぎたわ。

 

親になってから見ると、アムロの母親の身勝手さもよくわかるし。とはいえ、息子さんがあそこまで戦士になってしまったら理解の範疇を超えるのも理解できる。幼児の手を離した責任あるからな。やむなし。

 

ランバ・ラルなんて頼れる大人のイメージだったけど。映画の尺でアムロと絡んだシーンだけだと、「かっこいい大人」をロールプレイして、生きるチャンスがあるのにかっこよく死にたいだけのおっさんにしか見えないし。

悪いけど。確かに、大人の余裕を見せてアムロは見逃してもらったんだろうけどさ。そこが、80年代。子どもだった私にはかっこいい大人に見えてたけど。

 

違うな・・・てね。

違うって思うことが多すぎる。40年ってそういう時間だなぁ。価値観まるごといれかわっちゃうよね。

と半ば笑いつつ、過去のアルバムを眺めているみたいな気分だったのです。

 

 

が・・・Ⅲで宇宙に再び上がり、ニュータイプとして完全に覚醒したアムロの活躍をみるにつけ

 

これこそがガンダムだったんだ!

そうか、これに私夢中だったんだ!!!!!!

この爽快感か!

 

そして、ラスト。

結局、ホワイトベースクルーの導きでみんなのモトに帰っていくアムロを見て、感動。

 

そうだよな。暴力はいかんし、戦争はいかんし。避けれるものは避けて通るに限るっていう価値観の中で、それでも戦う理由って、結局家族しかないんだよなぁって。

じわ~~んとしました。

 

その、家族の範囲が村、町、国家、そして人類って広がっていけばいくほどによくわからない大義名分がついて、守るための闘いのはずが、結局は戦いを呼び込むなんてことになるのはもちろん避けたいけどね。

 

 

Youtubeガンダムチャンネル。毎週楽しませてもらってます。

閃光のハサウェイの公開に合わせてのキャンペーンだそうで。

大学生の頃かな?小説で読んだのかな。タイトルだけは記憶にあるが話の筋とか全く思い出せない。劇場に行くかは未定だが、後々見るだろうね。

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ポケットの中の戦争も当時はそれなりに夢中だったのだけど。
今見るといろいろ価値観が納得できない。けど。まぁ。Youtubeで公開されたら順次みていくつもり。

 

逆シャアは、公開当時もよかった感はあったけど。

今、見直してみると完全にアムロが、ガンダムが神様状態になってしまってて。

ここから再度ストーリーを起こしてやり直すってのは美しくないなぁっていう感覚。

 

それでも、ユニコーンはよくでき。箱の正体がわかるまでのところは、公開当初も見直した今回もめちゃくちゃ夢中でした。

 

 

実は、ORIGINをうけつけられない私。

モビルスーツ戦ほぼない、ニュータイプ味薄い。

シャアの声がおじい(池田さんの声はかっこいいけど、今となっては喉に絡みつく、おじいさんの声っていうのを感じてしまうので、若々しいシャアにそぐわない)、笑わせようとしてくる茶番が気分悪い。

キャラの因縁を後付けでつくるから、キャラ自体のイメージが変わってしまったりして、ちょっとそれ見たくなかったっていうか、認めたくない感じ・・・アムロ最初からガンダム乗ってやろうって狙ってたとしか思えないし。

ララァとシャアの出会いも、そんなに昔からの絆なのであれば、あのたった1度まみえただけ、あとは戦場ですれ違っただけのアムロが割り込めるわけないやんって。

 

 

 ア・バオア・クーへ出撃する前に、カイがエレベーターの中で

「逆立ちしたって人間は神様になれないからな 」って言うのを。

逆シャアから先に見直した身としては、

いや。神だから。アムロガンダムに乗せたら神になっちゃうからね(笑)

っていう。

それを突き詰めた後のストーリー作りってやっぱつらいよなぁ。

 

宇宙戦艦ヤマトに比べりゃ、ガンダムなんて十分整合性取れてるけどね。

 

しかし。40年。

とても宇宙移民なんてする必要なくて。あんなに人間が地球を壊してしまうと危機をあおられていた90年代からすると。

地球は広くて、無理に宇宙へ出なくてもまだまだ懐が広い。

宇宙に行ってみたくて行って観れる(観光)世の中はいずれくるかもしれないけど、仕方なく宇宙へ移民するとか、宇宙へ「棄民」されるなんていうエネルギーがいる政策は全くとられることはないですね。

 

宇宙は遠いなぁ。そして、家族大事、人間大事。ってところは動かないんだなと。

 

 

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