ブログの面白さってリアルにあると思う。
そんなわけで、本家「62kgから47kgを目指すおかあさんのダイエットブログ - 楽天ブログ」では赤裸々に体重とそのあくなき食欲、丈夫な胃腸をさらし続けているわたくしが・・・なぜ読んでいなかったのか不明な名著の感想文です。
ロバート•A•ハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」
内容を忘れているのだろうと思いながら読み始めたのですが・・・最後まで読んでわかった!私、これ読んだことなかった!読んだら絶対覚えている。こんなに心を揺さぶられる嫌な本を忘れるわけがない。ストーリーは忘れても気分は忘れないはずだ。
御都合主義極まれり!
何もかもが面白いようにハマって主人公は革命を成功させる。
大成功のサクセスストーリーなのに。
爽快感ゼロ。
革命が終わったら即引退。
その後は自分の好きな仕事をして家族に囲まれて幸せに暮らしました。
しかし、全く喜ばしい気がしない。
絶望感に襲われる。
ロバート・A・ハインラインといえば
「夏への扉」
こちらは若かりし頃から数回読み返しては、その御都合主義と爽快感を何度も楽しんでいる名作(実は買い直し三回目のKindle版を所持しています)。
- 作者: ロバート・A.ハインライン,Robert A. Heinlein,福島正実
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/01/30
- メディア: 文庫
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とにかく、同じご都合主義でも真逆!
月は無慈悲な夜の女王を読んで感じる「絶望感」についてぐだぐだと考えた
まるで革命のお手本。独立のお手本。
革命成功という意味では壮大で爽快なサクセスストーリーの筈なんだけれど。
寂しい。
侘しい。
何よりも地球に住む人々の無邪気な差別感が寂しい。
無邪気な差別感が主人公をはじめとする月独立運動のメンバーを本当の窮地に追い込んでしまう。
地球をこれでもかこれでもかと殴り続ける。
殴りたくない。
血は流したくなんかないのに。
どれほどの言葉を尽くそうとも、相手が対等だと「感じて」くれないのだから。
どれほど叫ぼうと笑って躱されてしまう。
話し合う相手だと感じてもらえない。
最初から同じ人間であって、対等の会話をし、平等に扱うべき「ヒト」であるという感覚が全くもって欠落している。
どれほど言葉を尽くしても尽くしても全くもって相手の耳に届かない。この悲しみ。
しかし。差別されている側も平和で不満なく飼いならされている間は大人しく、不満を表明することなくなんとか生きていくことができる。
夫婦間
親子間
家族間
民族間
国家間
それに地球月間
ぜーんぶ一緒。
相手の本気の「言霊」を本気と捉えられない人は、やっぱりその相手を差別とまでは行かなくても自分と同じ高さには思わず、軽んじているんだよな。
表に出して避難をされたりさげすまれたりすれば、それは反論に転ずるチャンスでもある。
しかし、もし、、、ひたすら優しく、丁寧にかわされ続け、さらには保護を受けてしまったなら?
自分が欲しい権利は手に入れることはできないけれど、生かさず、殺さず、また義務さえも与えられず。
もう、反論するチャンスなどないし。
そのような紳士的な「場」で反論をしようものなら・・・苦しいと不当であると叫びをあげた方が白眼視されてしまうだろう。
それでも、それでも・・・
月は独立するために、叫びをあげるわけですよ。
もう、これ以上私たちを認めてくれないならば殴りますよ?殴りますけどいいですか?あと何日で殴りますよ?あと何時間ですよ。どことどことどこを殴るから安全策をとってくださいね。皆さんの命がほしいわけじゃないので逃げてくださいね。
叫んで叫んで叫んで。
地球の皆さんは?!
まじめにとらえてくれない。
そして、無駄死にする。大量に。死ななくていい人たちがまじめにとってくれないせいでたくさん死ぬ。逃げてくれないだけじゃなく、余計に集まってくる(号泣もんです。ピクニックです)。
結局、殴って殴って殴って殴って殴ってこれでもかっていうほど殴って殴って・・・
お願いだから殴るのやめさせてくれ、早くギブアップって言ってくれ、私たちのことを認めてくれって叫び続けるように殴り続ける。
悲しすぎる。
マイクロフト・・・どこにいっちゃったんでしょう。今流行りのAIです。こんなに有能なAIがもし、あなたの絶対の味方なら?どれほど心強いか。どれほどのことが成し遂げれられるだろうか。
そんなマイクロフトは?悲しすぎて死んじゃったのか?そんな優しい心を持ってしまって、メンタル的に破壊されてしまったのか。自らを破壊してしまったのか????
むしろ、無頓着無邪気な地球人の方が電子計算機のマイクロフトよりもすでに心が空虚だ。残酷だ。無邪気な方がどこまでも残酷になれる。無邪気・・・恐ろしい。
時代をさかのぼれば、日本人も欧米人に「ヒト」であると認識してもらっていなかった時代がある。その時代を思うと、日本人はきっとこういう気分だったんだろうと思う。
どれほど叫ぼうともかわいい「愛犬」が叫んでいるようにあしらわれる。
(明治の皆さんありがとう(滂沱の( ;∀;))
時代をさかのぼれば、女性も男性に「人」であると認識して頂けなかった時代がある。
今でも、お年を召した方によっては、女性は男性と同じ「ヒト」であるというよりは「オンナ」であるという感覚で軽んじられ、ある意味大切にされ「あしらおう」とするような挙動を見せる人は多い。その気分を感じ取るとなんとも空しく。緩やかな時がその認識を少しづつ変えていくのを肌に感じながら歳を重ねる私の人生。
叫んだところで消耗するだけだと知ったのはいつ頃か。しかし、この手の悲しみは今でも無数に転がっている。
この本は、その類のむなしさを跳ね返すために殴って殴って殴り続けて「ファンタジー」的大勝利を収める話なのだけれど。
とにもかくにも、最初から「ヒト」だと思われていないというそのことが悲しい。
おそらく、この独立運動がなって、同じテーブルについて話し合いができるようになっても、当分の間は殴られて痛くて、脅されたから同じテーブルについているだけで、同等の人間であると感覚的に認められるまでにはずいぶん長い時間がかかるはずだ。
賢い人々は「頭」でそういうふうに扱わないといけないから「平等」に扱ってくれるだけで、心底「オナジヒトデアル」と感じられるようになるには時間がかかるし、世代の交代も必要かもしれない。
そう思えば思うほど。この月の独立は大成功なのに悲しすぎる。
なぜここまで月の人たちをこの地球の人々は「同じ人ではない」、地球の「持ち物だ」と思えるのか。
ファンタジーなんだけど小説なんだけれど、これに類する話は身の回りにさえ数え切れないほどあるような気がして。
とにかくやるせない気分なんです私。
そして、話は最初に戻り。
私は若かりし頃にこれを読まなかったのかについて考えた。
たまたま田舎の本屋に置いていなかったのかな。
高校生のときの読書なんて、本屋の棚に並んでいる本のうち、目についたものを購入して読んでいただけだったのだから。
今みたいに、ネットの情報からピピピと感じて購入するなどという導入ではなかった。
本屋の棚がすべて。図書館・・・も我が田舎には「図書室」程度のものしかなかった。
大きな紀伊国屋や淳久堂が毎日通えるような範囲にあれば・・・また違った読書傾向に育ったかもだけど。高校生時、私がハヤカワのSFにはまった時に、田舎の本屋になかったんだろうなぁ。
大学生になって、大きな紀伊国屋に頻繁に通えるようになったころにはハヤカワはあんまり読んでなかったよな・・・そういえば。
と思い出す。