ブログの面白さってリアルにあると思う。
そんなわけで、本家「62kgから47kgを目指すおかあさんのダイエットブログ - 楽天ブログ」では赤裸々に体重とそのあくなき食欲、丈夫な胃腸をさらし続けているわたくしが・・・むすこ君の経験をメモ。
数日前。私が玄関を開けるやいなや2階からドタドタと階段を走り下りてきて
開口一番
「羅生門!芥川龍之介!僕に文才があるなら1本あんな小説書けそう。あればりの経験してきたわ。無理。バス無理!歩く歩く!二度とバスには乗りたくない」
10月に行ったオープンキャンパスで揺られたバスで酷く酔ったために、
その日は再度、バス酔いの確認と大学までの別ルートの探索に出かけたのだ。
考えられた通学経路は2つ。
①ルート;電車+バス
②ルート:電車+地下鉄+バス
②ルートであれば、バスに乗る時間が①ルートの半分になる。
但し、定期代は②ルートになると倍額。
正直私にとっても非常に痛い。
幼いころから電車に酔ったり車に酔ったりするイメージなどほとんどなかったのだけれど?なぜ?
この日のことがやっぱりトラウマで「倒れたらどうしよう」という恐怖感がまだぬぐえないのが原因かと推測。
dottarabattara47.hatenablog.com
①ルート;電車+バス→大学
前回①ルートを使って大学へ行ったときには、通勤ラッシュの時間帯でぎゅうぎゅう詰めだったので、
「空いていて座れたら大丈夫な気がする。早めに行くとか時間ずらすとか工夫してみよかな」
そういって、①ルート;電車+バス→大学でお昼前ごろに出発。
問題のバス停へ。
1本次のバスを待ち、先頭で乗り込み、座席を確保したのもつかの間。
「座れたし耐えられるやろ」と思ったのもつかの間。
つぎからつぎへと老人が乗り込んでくる。
ぎゅうぎゅう詰めの通勤ラッシュという状態ではないけれど。
あとからあとからおばあさんばっかりがどんどんバスに乗り込んできて、全員は座れない状態になってしまった。
動き出したバスに揺られ、座って酔いを我慢する。
しかし、立っているおばあさん達の視線が痛い。
バス停ごとに新しいおばあさんがまた乗ってくる。
自分もバスに酔わないなら、立ち上がるところだけれど、立ったら酔ってしまう。
痛い視線に耐えながら座り続ける20分はまさに針のむしろ。
おそらく、バスに酔っているのと精神的プレッシャーのためであろう
おばあさんたちからする「臭い」が鼻を突きさらに気分の悪さに拍車をかける。
所謂それは「加齢臭」ってやつやろね。加齢臭 - Wikipedia
ことさらに言い立てたところでいずれ行く道。誰しも、その匂いを発しない方法はないだろうな。
バスの中は老人だらけ。
ラッシュの時間をずらしても、バスを1本後ろへずらしても
次々乗ってくるおばあさんの群れは「僕に席を譲るのが当然」という視線を投げかけてくる。
その視線を感じながら座り続ける苦痛。
この苦痛を芥川のような才能があれば表現できるのに!と思った・・・という話で冒頭のセリフへ戻るわけです。
「で?②ルートのバスも耐えられへんの?」
「もう!バス自体に乗りたくないねん。バスの中は老人でぎゅうぎゅうや。僕の居場所はないねん。僕はバスに乗る年齢じゃないねん」
「??」
「帰りはな、大学から歩いてん。30分もあれば地下鉄の駅に着く。」
「30分て毎日やで?本ときっとノーパソももつねんで?往復やろ?」
「いいねん。さっぱりしていい気持ちで歩けるもん。」
「だってな。お母さん。歩いてたらな、小学生の集団下校はいるし、中学生のチャリ通の子だって走ってる。ベビーカーを押してるお母さんもいっぱいいるねんで。
そんで、地下鉄に乗ったらな、僕くらいの年齢のやつらがみんなスマホに視線を落としてたくさん乗ってるねん。もう、奇跡みたいにな。目の前が明かるくなる感じ。未来がある。そんな気分。
バスってなんなん?あのバス!老人だけしか乗ってない。なんで?!
僕はどんなにしんどくてもあの箱の中に閉じ込められるよりも自分の足で歩くわ!
だって僕は歩けるもん!」
なにをどうやっても、必ず座って大学まで行けるバスは存在しない様子。
超高齢化社会の日常風景。
私がむすこ君の年ごろにみた風景とは違う風景ってことだ。
とりあえず、
②’ルート;電車+地下鉄+徒歩(30分)
というかなり過酷な通学経路を選択することに心は決まったそうです。
「天候によっては意地を張らずにバスに乗りや」
としか言いようがなかったのでした。
「芥川ばりの日記」書けるなら書いてくれ。ぜひ読みたい。
で、こうやってブログを書きながら幼い日からのことをいろいろ思い出しても思い出しても・・・自動車に酔ったり、電車に酔ったことなんかほとんどないのになぁ。
あの日(オープンキャンパス)も体調が悪かっただけかと思っていたけれど。
やっぱ「心因性」ってやつなんでしょうね・・・トホホ。